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葬儀の様式 キリスト教

キリスト教式について

カトリック教会

カトリック教会における葬儀観は、現代のカトリック教会の精神をもっともよく表している第2バチカン公会議の文書の一つ『典礼憲章』から読み取ることができる。同文書では「葬儀はキリスト信者の死の過ぎ越しの性格をより明らかに表現し、典礼色も含めて各地方の状況と伝統によりよく適応したものでなければならない」(81条)としている。現代のカトリック教会における葬儀は、この文書をうけて改訂され、1969年に発表されたカトリック教会の儀式書『葬儀』およびその各国語訳に基づいておこなわれているが、それ以前のものと比べると二つの特徴をあげることができる。
まず、第一は葬儀が「キリスト信者の過越しの性格を表現するもの」であると宣言されていることである。つまり死が人間にとって完全な終わりではなく、キリストを信じることで永遠の命と復活への希望に入るものとなるということである。かつてのカトリック教会では、死と関連して死後の審判や煉獄や地獄の恐怖のみが強調されてきたが、そのような考え方もこの視点によって修正された。これと関連して葬儀ミサ(レクイエム)で歌われた続唱などが、その内容がキリスト教本来の死生観から外れたものとして廃止されている。
第二の特徴は、カトリック教会の葬儀は全世界一律でなく地域の文化に合わせる柔軟さを持っているということである。日本においても当然固有の文化と伝統が尊重される。この精神に従って日本での葬儀では焼香や献花が行われ、カトリック信徒でない参列者が多数を占めることが多いという現実が配慮されている。具体的には葬儀で用いられる用語や固有の表現は可能な限り避けられ、参列者のほとんどがカトリック信徒でない場合はミサに代えて「ことばの祭儀」を行いうることなどがあげられる。
カトリック教会における葬儀は、死者のために祈ることももちろんであるが、残された生者のために祈る場でもあり、神が悲しみのうちにある遺族を励ましてくださるよう祈ると同時に、キリストに結ばれたものとして、キリストが死んで復活したように自分たちもキリストの死と復活にあずかることができるという信仰を再確認する場でもある。
先にのべたように地域の文化への適応という考え方から、現代の日本におけるカトリック教会の葬儀では、「通夜」および「葬儀」という流れに沿って行われる。
通夜では聖書の朗読、聖歌、死者のための祈り、棺への献香と参加者による献花あるいは焼香、遺族代表のあいさつなどが行われる。通夜は教会で行われることが多いが、自宅で行われることもある。
葬儀は教会での葬儀ミサという形で行われることが多いが、状況に応じて自宅で行われる場合もある。また、参列者のほとんどがカトリック信徒でない場合などは参列者に配慮してミサに代えて「ことばの祭儀」という簡略な形での葬儀が行われる。 一般的な葬儀ミサと通常のミサとの違いは、会場が葬儀にふさわしく装飾されることと、聖書の朗読箇所・聖歌・祈り・説教の内容などが葬儀にあわせて選ばれるということである。ミサとあわせるかたちで続けて告別式と葬送が行われる。告別式では一般的な葬儀と同様に、故人の紹介、弔辞、弔電の紹介、焼香あるいは献花、遺族代表のあいさつなどが行われる。
ミサ以外の司式は司祭や助祭だけでなく信徒でも行うことが可能である。通夜および葬儀の時に用いる司祭(助祭)の祭服の色は通常は白であるが、特別な場合は紫や黒を用いることもある。
また、死後特定の日に集まって故人を弔う日本の習慣にあわせ、「命日祭」という名前で故人のためのミサや祈りの集いが行われることもある。

プロテスタント

プロテスタントの葬儀は欧米では日中の葬儀・埋葬礼拝のみであることが多いが、日本においては仏教の葬儀様式に慣れた参列者の便宜を図り、前夜と当日との2日にわたって典礼を行うことが少なくない。この前夜の式典は、呪術的な必要から遺体を不寝番することを意味する「通夜」を避け、「前夜式」「前夜の祈り」などと呼ぶ。前夜式は自宅で行う場合もあるが、教会堂で行うことも多い。
告別式の式典は礼拝そのものであるため、その式次第は基本的に通常の日曜日の礼拝と同じであり、故人が地上で行う最後の礼拝と意味付ける教派もある。従って、基本的に教会堂で行われ、祈祷、聖書朗読、説教、賛美歌、祝福などにより構成される。これに付随して、友人などによる追悼の辞、遺族の挨拶、献花などが追加されることが多い。故人の略歴の紹介・記憶の披露などは、牧師の説教に組み入れられることも別個の項目となることもある。
キリスト教(特にプロテスタント)では、人の死は忌むものではなく、人の霊が地上の肉体を離れ、天にいる神とイエス・キリストのところに召されることであり、イエス・キリストの再臨において復活するための準備に過ぎない(このことからプロテスタント諸教派では信徒の死を「召天」と呼ぶことがある(昇天ではない))。したがって、死とは、天国において故人と再会できるまでの一時の別れであり、地上に残された者(遺族などの生存者)にとっては、その別れが寂しく慰められるべき事であるが、死そのものは悲しむべき事ではないと説明される。
キリスト教徒の比率が低い日本では、参列者はもとより遺族すらキリスト教徒で占められる事は期待できないため、宗教的純潔主義の主張より地域の習俗を重んじる者らへの配慮が優先される。前夜式を設定したことは既出だが、焼香に代わる献花、「香典」「仏前」に代わる弔慰金の名目「御花料」などは皆その為に案出され、後に信仰的意義付けを為したものである。同様の理由で六曜「友引」には葬儀を控えるが、これには大抵の火葬場が休業であるという止むを得ない事情もある。また、死を穢れと見なさないため「清め塩」は使わない。

正教会

ギリシャ正教とも呼ばれる正教会の葬儀は、埋葬式と呼ばれ、連祷と無伴奏声楽の聖歌から構成されている(正教会の聖歌は無伴奏声楽が原則である)。永眠者が、神からの罪の赦しを得て天国に入り、神からの記憶を得て、永遠の復活の生命に与ることを祈願するものである。なお正教会においては前晩に行われるパニヒダは初代教会から大事にされた伝統であるとされ、前晩のパニヒダを通夜と呼ぶ事もあまり忌避されない(「パニヒダ」の語源がそもそも「夜通しの祈り」という意味である)。
土葬が基本であるが、日本正教会では諸々の事情により止むを得ず火葬が行われている。
正教会では「逝去」「無くなられた」「故人」ではなく、それぞれ「永眠」「永眠された」「永眠者」の語が用いられる。これは、正教会においては死は来世の復活の生命に与るまでの一時的な眠りとして捉えられている為である。
正教会の奉神礼(礼拝)は立って行うことが基本である。起立する姿勢は伝統的に「復活の生命に与って立つ」ことを象徴するとされるからである。従って司祭・輔祭・詠隊(聖歌隊)は勿論、参祷者も埋葬式の間は継続して立ち続ける事が求められている。ただし無論、身体障害者や高齢の参祷者はこの限りではない。
正教会でも香炉は用いられて大切な習慣と位置付けられるが、振り香炉を扱うのは司祭と輔祭であり、参祷者が香炉に触れる事は無い。参祷者が永眠者と対面する際には、棺への献花の習慣がある。
埋葬式は、輔祭もしくは司祭が、永眠者の霊(たましい)の安息を祈願する祈祷文を朗誦した後、詠隊(聖歌隊)が「永遠の記憶」という詞を三回繰り返し歌う事で終結する。神が永眠者を記憶する祈願であり、かつ参祷者が永眠者を記憶し続け、永眠者の為に祈り続けることを促すものである。

(2009年4月12日 (日) 05:56 UTC)「ウィキペディア日本語版」より

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